『地球サイズの靴を履いた』
そんなエネルギーをインストールしてもらった。
- わたしがわたしとつながる -
それは
わだかまりや葛藤がどこかにいってしまう、という事件。
わたし自身がアースされてしまったみたいに軽い。
にもかかわらず
ただただわたしがいる、という不思議な『感じ』。
わたしがわたしであることがまとまっていく。
散り散りだったわたしがひとつになる。
かつて泡姫であったことも
当然すぎるがゆえに
分離させている不自然が極まる。
これまでで一番長く続いた仕事であり
いわゆる人気嬢として長らくNO.1を維持し
コンサートチケットよりも予約が取れない
と嘆かれたりもした。
ヒーリングサロンを開けたのも
他者に借金することなくクローズできたのも
鍼灸あん摩マッサージの学校に通い
国家資格を得られたのも
ひとえに泡姫だったわたしのお蔭で
その要素無くしてわたしであるはずがなく
わたしはわたしのどんなささいな部分でさえ
こよなく愛しているのだとわかってしまった。
これほどシンプルなことはない。
これほどに温かな感触はない。
大切な人の未熟な側面に触れても
まるっと受け容れられるように
自身の未熟さに対しても
まるっと受け容れられる手触りが感じられる。
拙いがゆえに予防線を張ってしまうところも
苦手意識や過敏に反応しすぎるところも
社会性が無く中途半端で
すべてに対してとことん甘いところも
『かわいいところ』でしかないし
やがて目の当たりにする変化も楽しみでしかない。
誰かを気遣い
誰かの干渉を回避し
誰かの承認を欲し
そんな、誰か、誰か、誰か、が
もうとってもめんどくさくなってしまった。
なんでそんなめんどくさいことをずっとやっていたのか
今ではもう訳がわからない(笑)
決して穢れることはない。
何かから脅かされることもない。
ただただ『自身の想う美しさを生きること』それに尽きるだけ。
これだけは決して譲らない、たったそれだけ。
わたしがわたしであることは
誰がどんな評価をしようがこの先も変わることはない。
もしかしたら
これまでよりも多少悠然とした感じになるかもしれない。
まったく今までと変わらないかもしれない。
これまでの細やかさが欠落して
冷たい人と映ったり
鈍さに辟易されたりするかもしれない。
けれど、そんなことより
『今のわたし』が誰とつながって何ができるか、とか
『今のわたし』を必要とする人とご縁できること、とか
の方が楽しみでしかたがない。
わたしはわたしに『生まれてきてありがとう』と言う。
わたしはわたしに『今また新たに生まれてこれてよかったね、おめでとう』と言う。
自己肯定イコール報酬系、なのなら
『好きなことだけやる』
をこれまで以上に
ただただ徹底していくばかりだ。